雙柳舘

中学三年 中島章太郎

「剣道の教え」

雙柳舘前一色道場  中島章太郎
 去年の夏、僕は代表戦の開始線に立った。
 僕が勝てる相手ではない。それでもここで負けるわけにはいかない。チームが負ける。とにかく相手の真っ直ぐで速い面を受けた。
何分経っただろうか。相手の面を受け続けた僕の方は悲鳴を上げた。僕はワンテンポ外して面を決めた。担ぎ面だ。
「勝った!」
試合の夜、いつもの様に道場に稽古に行った。いつもは試合の日なんて疲れ果て、道場への坂道を登るのが苦痛だった。でもこの日は違った。足取りは軽かった。道場の先生は今日試合を見に来てくださっていた。褒めていただけるに違いない。先生の顔を見るのがとても楽しみだった。
 いつもの稽古をして、終わりの黙想。そして先生のお話が合った。
 「今日、章太郎の中学校が優勝した。大活躍だった。でもあの面は打ったのではない。当たったんだ。」
 僕は耳を疑った。さーっと血の気が引いた。僕のあの面が当たった?
 僕のチームは勝った。何が悪いのかがわからなかった。大丈夫、僕の剣道を信じてこれからも頑張ろう。気持ちを立て直し、次の大会に進んだつもりだったが、いつもの気迫も実力もだせないままその年の中体連は終わってしまった。
 昨年、元横綱の千代の富士が膵臓がんにより六十一歳で亡くなった。千代の富士は十五歳の時に九重部屋に入門し、一九七〇ねんに初土俵を踏んだ。細身で小柄な体は肩の脱臼やケガに苦しんだ。上半身を鍛え、痛みに苦しみながらも大型力士を投げ飛ばす豪快な相撲が人気だった。努力と稽古の大横綱だった。競技は違っていても脱臼やケガが多いぼくとは共通点が多く、憧れの存在だった。
 テレビである評論家が言っていた。
 「小さな体だが筋肉に芯が入っていて、投げ技を決めると土俵に稲妻がピカッと走ったように感じたものです。」と。  あの試合が重なった。あの担ぎ面は相手に対して精一杯の面だっただろうか。ピカッと稲妻が走るような、人の心を動かせる面だったろうか。  小さいころから大きな面に憧れて、僕なりに面を極めようと努力してきたはずだった。それが団体戦に出るようになり、勝つためだけの剣道になっていた。小さいころからの目標「勝ち負けの関係ない僕の剣道」を忘れていた。あの時僕は体力の限界で早く決着をつけたかった。相手の真っ直ぐな剣道から逃げ、一歩下がってから面を打った。それは真っ直ぐで捨て切った面ではなかった。先生から教わり、目指した剣道とは全く違っていた。

 先生のおっしゃった言葉の意味を考えて稽古する。素振りの時は左手を正中線から外さず竹刀を真っ直ぐ振ってみる。稽古の時は決して下がらず自分から先を取り攻めてみる、そして打ち切る。相手を敬い、素直な剣道を心がける。
 中学校最後の県大会、僕の心はなぜか落ち着いていた。もう逃げないと心に決めた。出来る限り稽古に通った事と、素振りを毎日続けたことは大きな自信になっていた。  準々決勝、僕は相手の動きを読み、攻め続けた。前へ、前へ。小さなころからずっと恐れていた面返し胴の事なんか忘れていた。「今だ!」僕は精一杯、相手の心の真ん中に真っ直ぐ面をうちこんだ。・・・・・・・。
 旗は一本しか挙がらなかった。それでも僕は決して後悔していない。この渾身で捨て切った面は僕がしてきた全てだった。

 剣道は人間形成の道である。僕は剣道で自分の弱さを教わり、考える。そして竹刀に思いを込め、また稽古に励む。相手の心を打ち、人の心を動かす剣道を目指し、これからも稽古を続けていきたい。
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